執筆のとき
1998年2月4日 ある新聞に寄せた野沢のコメント記事です。
読む人うならせたくて 勇気出し自作読み返す
今、机に積んだ原稿を前に僕は途方に暮れている。
400字詰め原稿用紙に換算して720枚。正月を挟んで40日で書き上げた次回作の小説だ。
情けないことに、読み返すのがこわいのだ。
40日の短距離走だった。720枚といえば、連続ドラマ・ワンクール分の原稿量に等しい。ドラマの仕事ではこの量を4ヶ月ほどかけて、1回ごと、プロデューサーやディレクターのチェックを受けながら書き上げていく。まさに1人駅伝競走だ。先ごろ終わった「青い鳥」では1年以上を走り続けた。
もちろん、出版社には有能な担当編集者もいるし、執筆に詰まったときは酒場に誘って相談を持ちかけてもよかった。だが、小説を書く魅力とは徹底した個人作業にある。仕事場に朝入り、夕方までこつこつノルマをこなし、机に原稿を積んでいく日々を、書き終わるまで続けてみようと思った。
3分の2を書いたところだった。「この小説は本当に面白いんだろうか」という根源的な疑問が突き上げてきた。こうなるとパソコンを起動させて白紙の画面を前にしても、なかなか文字が埋まらない。1日7時間労働のうち、最初の2時間は、自分を覚醒させ、調子に乗せるための戦いに費やすことになる。今書いている物語と共通する映画のサウンド・トラックCDを流し、我が子を誘拐された婦人警官になりきり、犯人に怒りの銃弾を放つ。そして犯人側に立って、前代未聞の身代金奪取計画に知恵を絞る。
とにかく文章を組み立てて描写を重ね、「この犯罪計画は穴だらけじゃないか?」とか「人間がストーリーに埋もれてしまっていないか?」とかいう自分の内なる声をひき殺していく。
だが、それでも執筆に詰まってしまい、頭をかきむしる。自分の才能のなさに嫌気が差す、というよりも、なまじ書く才能があったがためにこんなふうに苦しまなきゃならない身の上を呪う、という心理だ。
「どうしてこんな仕事をお前は選んだのだ?」と、「だって、ほかに何の取りえもないだろう?」と一方が言い返す。大学4年の時に人並みに就職活動をしていたら、自分にはどんな人生があっただろうか、などと考えているうちに、昼になり、腹が減り、自宅から持ってきた弁当を食べ始める。
午後の部だ。もう内なる邪念には耳を傾けない。とにかく文章を紡ぐことに集中し、登場人物と肩を組んで虚構世界を突っ走る。
午後5時、何とか1日分を書き終え、疲れ果ててソファにぐったり横たわる。小説であれ、脚本であれ、自分は一生、現実にいもしない人間たちを相手に苦しまなくてはならないのだ、と改めて思い知る黄昏時だ。
が、この原稿が製本され、書店に並び、読み終えた人が「ほうっ」と満足の溜め息を漏らしてくれる時を、どうしても夢見てしまう。
勇気を振り絞って、今からこの小説の読者になるべく、1ページ目をめくってみることにする。
この記事へのコメント
あの作品のことは本当気になっていました。当時の報道では脚本を12話分まで書けていたと思うのですが、3年かけて特別版で放送するようですね。それも破格な感じです。また野沢尚さんの作品が見られると思うと期待しています。
昨日記者会見で本日新聞発表だったかと思います。
野沢は第一稿の全話ぶんと第二稿の5話ぶんまで完成させていました。ですが、現在はどの様な状況か分りません。
NHKさんから何の報告も無く放映が2009年になりましたのも偶然別件でお電話して知りました。
野沢はこの作品に翻弄されたと言ってもよいくらい最後の最後まで全勢力をかたむけて取り組んできたのに・・・。
さぞ無念だと思います。
野沢の筆がどこまで残されいるのか・・・。
また、本日のある新聞社報道記事で野沢の遺書なる一文がありましたが、その内容はまったくのでたらめで、事実と違うものでした。新聞社には削除のお願いをいたしました。なぜあのような記事が掲載されるに至ったかは記者会見に立ち会ったわけではないので分りません。ですが私は1日涙が止まりませんでした。どこまで我慢し耐えたらいいのでしょうか・・・・
でもやっぱり気になるドラマですから必ず見ると思いますし、期待もしています。でももし脚本内容が野沢氏のものとかけ離れていたら、彼はきっとクレジットからはずしてくれとあの世からもまた言うんでしょうね。
「坂の上の雲」は撮影に入れないのでは・・・。
タイトルをはずすということはそういうことになります。
真剣に悩んでいます
今朝の報知新聞に報道されたのを知り、ここにコメントしてしまいました。NHKからは、てっきり野沢様にご連絡があったものかと思っていたので、野沢様のお気持ちも知らずに上記のようなことを書いてしまいました。本当にすみません。今回の作品が野沢尚先生の筆のしっかりと残った、意志のある脚本になっていることを強く望みます。
ですからお気になさらないでください。
きちんとした報告をされないNHKのお考えは分りません。
毎週一回司馬さんの奥様(著作権者)にはご挨拶に伺ってるそうです。
それが意味することは・・・・
「生きてこそ」この言葉を痛感しています